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御柱祭の氏子たち

Vol.4

祭を彩り、氏子を鼓舞し、
巨木を動かすおんべ

おんべ職人 廣瀬勝也さん
(茅野市)

御柱祭で必ず目にするのが「おんべ」。木の棒にかんなで削った房を付けたもので、御柱に乗る人や曳き子、木遣りを唄う人まで多くの人がさまざまな色や大きさのおんべを手にしています。木遣りとともにおんべが振られるごとに力が満ち巨木の柱が進む。諏訪の人の気持ちを盛り上げてやまないのがおんべです。

そんなおんべを60年以上作り続けている茅野市の廣瀬勝也さんにお話を伺いました。

時代とともに豪奢になっていったおんべ

——おんべとはそもそもどういうものなのでしょう?

廣瀬勝也(以下、廣瀬):

俺もいわれとしてはよくわからない。いろいろな説があるよね。昔諏訪の平で戦争があって、その戦いのときにおんべで威勢をつけたなんて言う人もいます。おんべって名前の由来もよくわからないんだけど、元は「御幣」って書くんですよね。今は御幣っていうと紙垂(御幣に付ける紙片)を指すこともあるけど、宮司さんが使うものがおんべのルーツなんじゃないでしょうか。
諏訪以外の地域からも注文が来ますが、その場合は大きいおんべが多い。神社の神事をやるためのものが中心ですね。氏子さんが振る色付きの小さいおんべはここら辺(諏訪地域)が主だね。

廣瀬勝也さん

——それがなぜ御柱祭で使われるようになったのでしょう?

廣瀬:

元々のことはわからないけど、最近ではとにかく御柱祭を賑やかくやるためでしょうね。御柱っていう大きな柱を曳く。曳き子のために木遣り隊っていう音頭取りがいる。木遣りを歌って、力を合わせてみんなで御柱を曳きましょうっていうときには大きなおんべを使う。

——おんべは昔からこの形なのでしょうか。

廣瀬:

氏子さんが持つ小さいものは俺が小さい頃から変わらないね。ひとつ違うのは素材。最近のおんべはみんな木の棒を柄に使ってるけど、昔は竹に房を付けてました。木遣り用の大きいおんべは俺が知っている限りでもかなり変わった。今は諏訪大社って書いてある札とその下に御幣(紙垂)っていう飾りがついてるけれど、これは昔はなかったんですよ。豪華になってきましたね。
特に下社の方はすごいですよ。うちは上社の氏子さんからの依頼が多いんだけど、下諏訪の木遣保存会さんからも注文があるんです。下諏訪の木遣り保存会さんのおんべは、御幣(紙垂)の部分がほかと違う。布の織物生地を使ってるんですよ。これは本当に特別ですね。

下諏訪の木遣り保存会のおんべ。御幣に布織物を使っており、非常にきらびやかです

——廣瀬さんがおんべ職人になったきっかけを教えてください。

廣瀬:

親父がおんべ作りをやっていたから、それを継ぐ形で。俺がはじめたのは60年ほど前です。
うちはもともと建具屋なんです。家に合わせてドアや引き戸、障子なんかを作る仕事ですね。昔は指物師っていって、建具だけじゃなくて家具なんかもやったんですよ。おんべ作りを始めたのがいつごろかというのは正確にはわからないけれど、親父が年季奉公に行っていたところがおんべ作りをやっていたから、そこで習って始めたんだと思う。俺も建具屋になって、おんべを作るようになったけど、親父とやったのは2回くらいかな。親父は体壊しちゃったもんでね。でも、今でも親父の残した道具を使ってますよ。

御柱祭の時期は一家総出でおんべ作り

——おんべはどのように作られているのですか?

廣瀬:

房になるものをかんなで削って、それを柄に付けていきます。ただ、今回は材料不足で大変だったんですよ。房の部分はエゾマツを削って作るんです。エゾマツは八ヶ岳にもあるにはあったし、昔はロシアなんかからいくらでも入ってきていた。でも、最近はロシアからの木材が日本に入ってこないんですよ。前々回の御柱まではロシアのエゾマツが新潟にいっぱい入ってたんだけどね。
だから今回は北海道で探してもらって、やっと見つかった。ただ、それも手に入れるのはなかなか大変でね。エゾマツっていうのはやたらには北海道から出せないという決まりがあるらしくて、今回もいろいろ手を尽くして何とか確保した。今後も心配だけど、御柱に使うくらいはなんとか調達していけたらいいね。

かんなで削ったものがおんべの房になります

——素材調達から苦労があるのですね。

廣瀬:

御柱祭の2年前には材料を見つけて、年が変わったら製材。御柱祭前年の春先にはうちに届きます。おんべ作りを始めるのは6月頃かな。房は1本ずつかんなで削るので、そこまでは俺がやって、あとは娘たちに縛ってもらう。氏子さんが使う小さいものは、縛ったあとに染め粉につけて色をつける。黄色とかピンク、あとは緑色も多いね。

——カラフルですよね。あれは昔から色を付けていたのですか?

廣瀬:

俺が知ってる限りでは、親父がやってるときも、もう色をつけてたよ。色をつけるのも一族で集まってみんなでやる。一気に1000本とか染めるんで、染めて干して染めて干しての繰り返し。娘の嫁ぎ先の農業用ビニールハウスを借りてやるんです。染めたものはハウスの中や外にも干して乾かします。

取材に伺ったこの日も、娘さん達が集まり家のあちこちでおんべを作っていました

——一家総出の仕事なのですね。

廣瀬

そう。おんべ作りっていうのは、1人で全部できる仕事じゃないんです。どうしたって手伝いが必要で、家族みんなでやるもの。娘たちも小さいころからやってるからね。もうみんな嫁に行っているけど、このときは呼んで来てもらう。この時期うちはおんべ一色。家の中が材料やおんべであふれて、寝るところもなくなっちゃう(笑)。

——諏訪地域だけでどれくらいの数のおんべを作るのですか?

廣瀬

おんべを作るのはうちばっかりじゃなくて、大工さんなんかもやるところもあるだろうね。だけどね、うちも小さいのだったら5000本くらいは作ってると思うよ。
大社の御柱が終わっても小宮祭(各地にある諏訪神社や諏訪地域にあるお宮ごとに行なわれる小さな御柱祭)があるからね。小宮祭は、だいたいどこも子どもさんが主体になってやるから、子ども用のおんべの注文が入ったりする。そんなに多いわけじゃないけど、9月くらいまでは仕事がありますね。

氏子用の小さいおんべは房を付けたあとに
染料に漬けて色を付けています

廣瀬:

そう。おんべ作りっていうのは、1人で全部できる仕事じゃないんです。どうしたって手伝いが必要で、家族みんなでやるもの。娘たちも小さいころからやってるからね。もうみんな嫁に行っているけど、このときは呼んで来てもらう。この時期うちはおんべ一色。家の中が材料やおんべであふれて、寝るところもなくなっちゃう(笑)。

——諏訪地域だけでどれくらいの数のおんべを作るのですか?

おんべを作るのはうちばっかりじゃなくて、大工さんなんかもやるところもあるだろうね。だけどね、うちも小さいのだったら5000本くらいは作ってると思うよ。
大社の御柱が終わっても小宮祭(各地にある諏訪神社や諏訪地域にあるお宮ごとに行なわれる小さな御柱祭)があるからね。小宮祭は、だいたいどこも子どもさんが主体になってやるから、子ども用のおんべの注文が入ったりする。そんなに多いわけじゃないけど、9月くらいまでは仕事がありますね。

氏子用の小さいおんべは房を付けたあとに
染料に漬けて色を付けています

——今、おんべ作りをしている人ってどれくらいいるのでしょう?

廣瀬:

どれくらいだろうなぁ? でも大工さんとか建具屋とか、日頃から木を扱っている人、かんなを使うことがある仕事の人じゃなきゃできないと思うなぁ。手で(かんなを)引いてるからね。
俺たちのような建具屋だったら、昔はみんなカンナを絶対使ってたわけです。そういう職人からすればかんなを引くのは難しいというわけではないけれど、数が必要だから大変は大変だね。

色を付けたあとは乾かして仕上げます

白くて程よい薄さで強いのが諏訪の
「いいおんべ」

——おんべの出来のよしあしってどんなところに出るのでしょう?

廣瀬:

ひとつは房の厚さと色かな。それも地域によって違いがあるんですけどね。諏訪以外の地域だと、振ったときにガサガサと音がするものがいいというところもあるそうです。そういうところはわざと房を厚く削るし、音が出るように棒も長くなっている。
諏訪の場合は、房の色が白くて程よい薄さで強いものが「いいおんべ」とされています。厚さに関しては材料がいいと薄く削れます。ただ、薄すぎてもダメなので程よくというところです。色に関しては、白い材料を使う。時間とともに経つとちょっとずつ色も変わっていきますけどね。

——素材選びも重要なポイントなのですね。

廣瀬:

そうです。エゾマツがダメならトウヒなんかも材料にはいいのかもしれないと思うんだけれど、トウヒは松と比べるとヤニが少ない。おんべの材料にするにはヤニっけがほしいんです。ヤニがあると強くなるから。でもヤニばっかりでも削れないんで、ヤニが出るところは避けて程よいところを選んで削っていくんです。

——そういうところにも経験が必要なのですね。

廣瀬:

ただ、強いとはいっても、房は使ううちに裂けていって糸みたいになります。柄や紙垂、付けている札の部分は使えるので、房だけ取り替える人もいますね。

——やっぱり御柱祭でもおんべに目がいきますか?

廣瀬:

おんべを作ってるから、どうしてもね(笑)。昔より色が派手になってきたおんべが揃うときれいじゃないですか。御柱祭で実際そういう様子を見るのがいいんだよ。めどでこ(上社の御柱に付けられるV字の飾り。曳行の際には人が乗ることも多い)の上で揃っておんべを振るのがかっこよくていいね。

——御柱祭には本当に欠かせないものですね。

廣瀬:

ただ、おんべ作りは7年に一度だけの仕事なんで、これだけに関わるなんてことはできない。で、2022年の次と言ったら、俺は90歳ですよ。90歳になってこの仕事できますかっていったら、そりゃあ無理ですよ(笑)。勢いがなきゃ木遣りさんのおんべは作れない。

でも、御柱祭が続く限りおんべはいるからね。だから誰かはやると思います。この辺りの木工組合の中にも、数は少ないけど跡取りがいるところもありますからね。そういう人たちがやるかもしれない。うちの母ちゃん(妻)も(おんべ作りを)やったよ? 結構苦労して覚えたんだよ。だから素人でもやろうと思えばできるかもしれないね。大丈夫だと思う。

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