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御柱祭の氏子たち

Vol.6

お宮御用達の誇りと
伝統を後世に運ぶ長持

東山田長持保存会 滝脇正志さん
(下諏訪町)

御柱祭に欠かせないもののひとつが長持。長持そのものは昔の道具入れですが、諏訪ではこの長持を担いで唄に合わせて練り歩く長持行列を「長持」と呼んでいます。この長持は諏訪のお祭りではよく登場し、祭事を盛り上げます。御柱祭でも華やかな側面が強い里曳きの際にはこの長持が登場。騎馬行列や花笠踊りなどと並ぶ祭りの華として親しまれています。
なかでも歴史が古いのが下諏訪の東山田地区の長持。ここで長持の伝統を受け継ぐ東山田長持保存会の滝脇正志さんにその歴史や伝統を聞きました。

春宮のお膝元だった東山田という地域

——長持とはそもそもどんなものなのでしょうか。

滝脇正志さん(以下、滝脇)

長持は昔の道具入れです。直方体の箱に長い棒につけて、前2人、後ろ1人で担いで運びます。昔は本当に衣装とかお宮さん(諏訪大社)関係のものを運んだともいわれていますね。現在のものでも重さは200kgを超えますが昔はもっと重たかったという人もいます。
諏訪地域だとお祭りといえば長持ち。東京なんかでいうお神輿なんかの感覚なのだと思います。正確な数はわかりませんが、諏訪地域にはかなりの棹数があると思います。下諏訪町内だけでも30団体くらいありまして、お祭りのときには行列のところに長持を担いで参加するんです。今は連絡協議会で横のつながりを作って、全体をまとめてどのお祭りにはどこが出るかというようなことを協議、調整するようになっています。
東山田はその中のひとつです。東山田の長持は諏訪の中でも歴史が一番古いだろうといわれています。はっきりとした記録というのはわからないんですけれども400〜500年の歴史があるのではといわれていています。また、僕たちはお宮さんとの距離がとても近くて、お宮御用達としての自負があります。

滝脇正志さん

滝脇正志(以下、滝脇):

長持は昔の道具入れです。直方体の箱に長い棒につけて、前2人、後ろ1人で担いで運びます。昔は本当に衣装とかお宮さん(諏訪大社)関係のものを運んだともいわれていますね。現在のものでも重さは200kgを超えますが昔はもっと重たかったという人もいます。
諏訪地域だとお祭りといえば長持ち。東京なんかでいうお神輿なんかの感覚なのだと思います。正確な数はわかりませんが、諏訪地域にはかなりの棹数があると思います。下諏訪町内だけでも30団体くらいありまして、お祭りのときには行列のところに長持を担いで参加するんです。今は連絡協議会で横のつながりを作って、全体をまとめてどのお祭りにはどこが出るかというようなことを協議、調整するようになっています。
東山田はその中のひとつです。東山田の長持は諏訪の中でも歴史が一番古い

滝脇正志さん

だろうといわれています。はっきりとした記録というのはわからないんですけれども400〜500年の歴史があるのではといわれていています。また、僕たちはお宮さんとの距離がとても近くて、お宮御用達としての自負があります。

——お宮御用達ですか。

滝脇:

はい。現在の諏訪大社下社春宮は砥川の東側にありますけれども、昔は西側(東山田側)にあっただろうと言われています。東山田は春宮のお膝元だったんです。現在の地籍は違いますが、周りの石垣を見ると「東山田」って彫ってあるんですよ。だからお宮とは関係が近くて、昔からいろいろとご奉仕をしていた。お宮からも何かあると「これちょっと東山田でやってくれない?」なんて声がかかったりします。今も下社に限らず、諏訪大社の御用達ということになっています。
たとえば、東山田の長持保存会では「伶人」といって雅楽もやっています。この伶人は諏訪地域で東山田しかやっていないので、お正月なんかは上社の方にも演奏に行きます。これも昔からこの地区でやっているんです。
今も御柱祭のときは「御柱迎え」といって、伶人と一緒に御柱をお迎えに行って、一緒に帰ってくるということをやっています。

——本当に特別な地区なのですね。

滝脇:

ただときどき誤解されてしまうこともあります。僕たちはお正月もお宮に御用があっていくと、長持を持ってそのままお宮境内まで入ってお祓いをしてもらえるんです。それは唯一東山田だけが許されている。でも、他の地区の人からしたら「なんで東山田だけ長持を持って入るんだよ」となってしまうこともある。でも、それは単に御用を受けて行っているご奉仕なんですよね。だから若い人たちには他の長持の方と会っても、「そこのけそこのけ」という感じで行くんじゃなくて、「きちんとご挨拶しましょう」「道を譲りましょう」とお話ししています。
お祭りの中に入れば東山田は特別なわけじゃないですから、連絡協議会の方で決めた順番を守って行列に参加します。その行列が崩れたら好きなところを練って地区まで帰ってくるんです。それを心待ちにしてくれているお店や地区の方がいるといった形です。
そういう経緯もあって、東山田では、昭和40年ごろにそれまでは青年団みたいな形でやっていたものを長持ち保存会として立ち上げて、伝統を守ろうとやってきています。僕たちが意識しているのは、古い形を伝統として継承しておきましょうというところです。

東山田地区の法被(はっぴ)。シンプルな淡い色合いです

本来の姿を伝える東山田の長持

——他の地区と東山田の長持の違いはどんなところなのでしょう?

滝脇:

長持を運ぶときに独特の音がするんですが、重みだけで軋んでギシギシ音がするというのが本来なんです。前の人が膝を曲げてゆっくりゆっくり歩くことで、軋んで音が出る、と。他の地区では音を鳴らすための鳴子(なりこ)という装置をつけていることが多くなりましたね。ですが、東山田ではあえてそれをしていません。綱と箱と棹だけで、縛る位置や強さを微妙に調整しながらいい音が出るように担いでいます。今はこうして音が鳴るようにしていますけれども、そもそも昔は音も立てずに静かに運んでいたんじゃないかなと個人的には考えています。わざと揺らすわけではないんですが、今では音を楽しむようにもなっていて、それが名物になっています。

——あの音がないとやっぱり寂しく感じます。

滝脇:

実は担ぐ方にとっても音は重要で、音がしないとすごく重く感じるんですよ。それなりにいい音がしていると、「今日は調子がいいかな!」と気分が軽くなる。しょっちゅう聞いているから、音で調子も分かりますね。からくりはなんにもないんだけど、「こういう位置でこう縛りなさいよ」と伝えて音を鳴らしています。
それから、お祭りで見る長持ちには大きくおかめとか花のようなものをつけて、派手な衣装を着てやるっていうのがほとんどかと思いますけれども、東山田ではそれもありません。
お宮から「えふ」っていう一宮御用と書かれた木札をいただいてつけるんですが、これは、代々の宮司さんに書いてもらっているんです。なかにも諏訪に流されてきた徳川家康の六男・松平忠輝さんに書いてもらったと伝えられている「えふ」もあります。これは真偽のほどは定かではないですが(笑)。ただ、我々は非常に大切にしていて、お正月にお宮さんにご挨拶に行くときとか、本当に大事なときにはこの忠輝さんの「えふ」をつけます。一番棹にはこの「えふ」をつけて、あとは傘しか乗せない。これを先頭にしてあと4つを引き連れていきます。

東山田地区の長持。装飾した他地区のものと比べると非常にシンプルです

——おかめなどの飾りがたくさん付いたほかの地区の長持に比べるとすごくシンプルですね。

滝脇:

長持はパレード的な要素になっていて、それもひとつの魅力なのですが、僕らはあくまでお宮の勅命を受けてお荷物を持って行くというスタイルを貫いているんです。東山田も一時期長持ち踊りみたいなものがあったみたいですけれど、今は一切やりません。今は全部禁止。他の地区のお祭りでは、途中長持が止まると、子どもたちが笠踊りをするとかいろいろありますけれど、東山田の場合は長持唄を歌って担ぐ、長持唄を歌って担ぐってそれしかしない。他の芸は何もないです。長持唄も重い荷物を運ぶために気持ちを合わせるという意味合いが大きいと思います。
「俺たちはお宮御用達だからスタイルは変えないよ」「他が赤くなっても青くなっても俺たちはこのままいくよ」っていうプライドを持っています。若い子たちにも、足遣いとか運び方とか細かく指導して、1年を通して少なくとも月に1回練習するようにしています。その辺はプライドを持ってやろうねって思ってます。

神事でありご奉仕が御柱祭の本質

——御柱祭のない時期もそんなに頻繁に練習を続けているのですね。

滝脇:

基本的に僕たちは長持があって御柱祭があるという感覚です。御柱祭のためだけにやっているとか、御柱祭のときだけ長持をやっているわけではないんです。例えば諏訪の多くの地域では、消防団に関わっているとお祭りにも参加しやすい風潮がありますよね。それがうちの地区では、基本が長持なんです。「興味があるならまず長持をやろう」。それから「じゃあお舟祭り(毎年夏に行われる諏訪大社下社の遷座祭。長持なども出て華やかに行われる)に出ようか?」「御柱祭行きたいか?」という流れでいろんなお祭りに関わることになる。名前は変わっても今でも青年団みたいな位置付けは変わらないですね。

——御柱祭では東山田はどんなことをしているのですか?

滝脇:

御柱祭では、東山田は秋一(諏訪大社下社秋宮一之御柱)の伐採担当になっているんです。曳行は日替わりです。長持は御柱の曳行とは別。御柱の前を行くっていうところはありますけれど、基本的には別の動きをしています。
上社では長持は里曳きで登場するイメージが強いですよね。下社もパレード、見世物っていう感覚はあります。でも、東山田では里曳きのときに秋一の綱を長持ちにして綱揚げをする役割があります。あの綱も結構重たいので大変ですよ。箱の枠を外してとぐろを巻くようにして担ぎ上げるんです。

御柱祭での綱揚げの様子

——里曳きでも東山田ならではのお役目があるのですね。

滝脇:

それから、長持といえば大きい舞台はお舟祭です。毎年8月1日に諏訪大社下社で行われるお祭りです。下社の遷座祭ですが諏訪全体のお祭りで、諏訪全体を10の地区に分けてそれぞれ担当を回しながら行われています。このときに引くお舟を柴舟というんですが、お舟を引くことは10年に一度しかできません。ですが、柴舟を作るのも東山田を中心にやっているんです。若い人に上に登ってもらって、我々は下でわらを被りながら、「はいそこ縛ってー次これだよー」って指示を出す。世代交代しながらやっているんです。
もちろん長持も担ぎます。僕たちとしては神事が行われる8月1日に担ぎたいんですよ。ただ、お舟祭というと前夜の宵祭りの方が賑やかで人出もあるので、町としては7月31日の晩の宵祭りに担いでねというんですね。だから「31日も出るけれど、1日にも必ず出よう」と。1日の神事に出して本来だと思っています。

——神事の一環として担いでいるのですね。

滝脇:

御柱祭は基本的なところは神事であって、お祭り騒ぎではないと思っています。山に行って木を切って、大事にお宮まで持っていって建てて納める。この一連の作業はご奉仕であって、それをちゃんと果たそうという思いです。
ただどうしてもそれが諏訪以外の地域ではなかなか理解されにくいですよね。テレビなどではわかりやすい部分を放送するので「危険なお祭り」というイメージが強い。原始的なお祭りなのは確かですけれど、「危ないのにやる変なお祭り」っていう捉え方になったのはとても残念だと思っています。木落しにしろ何にしろ、本来は御柱を納めるために生まれた作業であって、それをやるためのお祭りではないわけです。前はよくポスターなんかにも天下の奇祭なんて書いてありましたよね。奇祭なんてとんでもない。
お祭りなのでお酒を飲みながら気合いを付けて運ぶ地区も多いですし、それはそれでひとつの形だと思いますが、東山田ではお酒は一切飲みません。お山に行って、お宮までご奉仕して、無事に終わってからよかったねって万歳して、やっとお酒を飲めるんです。そういう形にしています。

気軽に声をかけられるお宮と東山田の距離感

——お話を聞いていると、東山田の方たちと諏訪大社は信仰よりもっと根底の部分でつながっているように感じますね。

滝脇:

下社と氏子の関係というのは、「信仰」というのとはちょっと違う感じがしますね。でも、お宮の御用をするのはいたって当たり前のことだという思いがあるので、お宮さんとはいつも近い関係。考えてみれば不思議ですね。
例えばお祭り以外でもいろいろと頼まれることがあるんです。お宮でよくあるのが邪魔な木を切って欲しいとか。あと、暮れや正月に行くと焚き火をやってるでしょ? そういった御用材なんかもみんな東山田から持っていきます。切って、丸太にして持っていって、年末に使ってくださいね、と。

滝脇

他にも御柱のときに御宝殿の屋根を葺き替えたりするんですが、その材料も持っていきますよ。山を持っている家も多いので、「うちの山のこれ切ってくれない?」「これはお宮さんにとっとく?」「次の日曜日に作業をやろうか?」って感じで地区の中でコミュニケーションを取りながらやっていますね。みんなそれを楽しんでいるんです。
そうやって年中お宮と関わるというのは他の地区から見ると特殊でしょうね。ここではそれが当たり前なんだけれど、ある意味ではそれが誇りになってもいる。お宮さんに「おい」と呼ばれて「はい」と答えられる関係が嬉しいんですよね。その関係は私たちの先輩が築き上げてきてくれたものです。
他の地区でもお掃除に行くとか、お宮さんにご奉仕する動きはあります。そうやって何かしらつながりを作りたいと思わせるのが、諏訪大社という存在なんでしょうね。

滝脇:

他にも御柱のときに御宝殿の屋根を葺き替えたりするんですが、その材料も持っていきますよ。山を持っている家も多いので、「うちの山のこれ切ってくれない?」「これはお宮さんにとっとく?」「次の日曜日に作業をやろうか?」って感じで地区の中でコミュニケーションを取りながらやっていますね。みんなそれを楽しんでいるんです。
そうやって年中お宮と関わるというのは他の地区から見ると特殊でしょうね。ここではそれが当たり前なんだけれど、ある意味ではそれが誇りになってもいる。お宮さんに「おい」と呼ばれて「はい」と答えられる関係が嬉しいんですよね。その関係は私たちの先輩が築き上げてきてくれたものです。
他の地区でもお掃除に行くとか、お宮さんにご奉仕する動きはあります。そうやって何かしらつながりを作りたいと思わせるのが、諏訪大社という存在なんでしょうね。

——諏訪大社にそんなに気軽に声をかけられる関係というのはなかなかないですよね。

滝脇:

長持もそういう関係やご奉仕の一環なんです。でも、最近は若い人たちを誘ってもやっぱり「いや僕お祭りはいいです」っていう人もいますよ。僕らなんかからするとせっかくここに住んでいるし、せっかくだからと思っちゃうんだけれど、今の若い人はそうとも限らないですよね。もともとの人口が少ないっていうのもあるけれど、娯楽も多様なのでお祭り熱が高い人も減ってきているのはありますね。
長持も本当は東山田に5棹あるんです。本当は5棹勢揃いでやりたいんだけれども、御柱でも3つ出せるかなというところです。人数だけでいえば出せないこともないけれども、動きが合わないのもかっこ悪いから。じゃあ3つをちゃんと動きを揃えてだそうという考え方でやっています。
でもせっかくの保存会なんだから、いいものをしっかりと後に引き継いでいきたいと思っています。

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