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御柱祭の氏子たち

Vol.1

大総代に聞く

笠原 透さん
諏訪大社大総代
上社御柱祭安全対策
実行委員会 委員長
北村 卓也さん
諏訪大社大総代会 議長
下社三地区連絡協議会 会長

諏訪の御柱祭は、
もう始まっている

上社の大総代に聞く

上社の大総代・笠原透さんに、まず御用材を決める仮見立て・本見立てという行事について聞きました。「上社では開催2年前に仮見立てを行いますが今回はコロナ禍を考慮して、開催1年前の本見立てだけにします」と決断をくだしたそうです。
 そして開催年の2月には8本の曳行分担を決める「抽選式」が行われます。地区ごとにこれぞという意中の柱があるそうですが、「どこに決まっても最後は『神様から与えられた柱』と気持ちをひとつにします」とのこと。「私たちは粛々と御神木を伐採し、曳行し、お宮に立てることが仕事。これが無事にできれば何も言うことはありません」と言葉を続けます。
 上社の御柱は左右に突き出す角「めどでこ」に特徴があり、木落しから川越しは、いちばんの見せ場。この華やかな表舞台にも、それを支える裏方たちがいます。「参加する皆さんには時間厳守から始まり、細かなルールを決めて何よりも安全を優先し、氏子たちが心をひとつにしているんです」。

北村 卓也さん
諏訪大社大総代会 議長
下社三地区連絡協議会 会長

盛大なる神事の
無事を願って…

下社の大総代に聞く

下社では御用材の仮見立てを開催3年前に行い、2年前に本見立てという段取りですが、やはりコロナ禍のなか、今回は本見立てを中止。大総代の北村卓也さんは「仮見立てをもって、本見立てと見なすことにしました。それから伐採をして、その木の皮を剥いて約1年間寝かします」。このため、下社の御柱は、開催年に伐採する上社と異なり、水分が蒸発した木材となります。
 下社の御柱は上社の「めどでこ」がなく、丸太であることが特徴です。木落し坂を下る様子はまさに豪快そのもの。
 また下社の曳行ルートは道幅がやや狭く、予定通りの時間進行に支障をきたすことがありました。「1キロの範囲に10万人が一挙に押し寄せれば、柱が動かなくなってしまいます。一方通行にしたり、迂回路を通ってもらったり、人の動きが滑らかになるよう工夫しています。いちばんは警察、消防、行政、そして我々氏子たちとの連携や協力です」。

氏子がつくる御柱祭

いざ出陣の騎馬行列

御柱祭の里曳きの華として披露されるのが騎馬行列です。総勢100名を超える行列は、殿様役を中心として、露払いを先頭に、色傘、手槍、御箱、長柄槍、御小姓、赤熊、芸傘、草履取りと続きます。諏訪大社上社のお膝元にある神宮寺騎馬保存会は、鎌倉時代からの騎馬行列の伝統を今に引き継ぎます。五味寛雄会長は「御柱祭の一年前から準備を始め、その日が近づけば、毎日のように所作の練習をします」と言います。また同会は、毎年9月開催の諏訪大社上社十五夜祭奉納相撲にも携わっており、伝統文化の継承が地域の絆づくりに一役かっています。「誰でも入ってくる方は大歓迎。みんなのチカラで御柱祭を盛り上げています」

天まで届く木遣り唄

御柱が曳かれるとき、木遣りの声が響き渡ります。「大勢の氏子たちに力と勇気をあたえ、みんなの心をひとつにするため、そして安全を願って神様をお呼びするために、天まで届くような甲高い声で唄うのです」と下諏訪町木遣保存会の古田和人会長は語ります。同会は、幼稚園児から80歳代まで約100名の会員を擁して、毎週日曜日に諏訪大社春宮境内で練習に励んでいます。また下諏訪町では、小学校の子どもたちが木遣りをじかに聞き、魅力にふれる授業をもうけています。「木遣衆にも新陳代謝が必要です。親から子へ、孫へ脈々と伝統が受け継がれ、そして諏訪地方の魅力が御柱祭を通して全国に発信できると確信しています」とのことでした。

「神賑い」で魅せる長持

長持と呼ばれる箱に、約7〜10mという長い棒が通されています。その前側に2人、後ろ側に1人、地下足袋とハッピ姿の担ぎ手が、長持唄に合わせて独特の所作で棒を揺らしながら歩きます。その動きやスタイルは各地の長持保存会によって多種多様。そして御柱祭のとき、日頃の練習の成果が披露されます。そもそも諏訪における長持の歴史は古く室町時代からの記録があるそう。「長持は、かつては正装で諏訪大社への寄進や神事の道具を運んだりしましたが、時代とともに、地域のみんなで御柱祭を盛り上げる『神賑い』の役割へと変わりました」と下諏訪長持保存連絡協議会直前会長の増澤哲さんは語ります。諏訪の人々が技を継承しているからこそ、観客も楽しめる祭りになったのです。

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